終演後記①
- 2020/01/15
- 09:00
1月8日、今日はおよそ1ヶ月ぶりのアルバイト。
毎週水曜日、ぼくはお好み焼き屋さんの厨房に立っている。それがおよそ1ヶ月ぶり。少しワクワクしている。
guizillenの佐藤辰海です。おはようございます。
そう書き出したのもいまや昔。オープニングセレモニーのあたりまで書いては消し書いては消し、気づけば1月15日(水)でございます。
時が経つのは早いもので。すっかり体が夜勤生活に適応し直してまいりました。
もう一日で書き上げるのは諦めました。締め切りがない、というのはどうにも締まらなくていけませんね。大嫌いだけど必要なもの。それが締め切りです。これからコツコツ加筆して進めていければと考えておりますので、どうかよろしくお願いします。佐藤辰海です。おはようございます。
もはや遠い昔のように感じられますが1月6日(月)、再演版の「土木座」の終演をもって、12月9日から約ひと月続いたguizillen5周年特別本公演「ギジレン5さい」が幕を下ろしました。
オープニングセレモニー、ギジレン島最後の7日間(ABダブルキャスト公演)、佐藤辰海演劇祭、年越しまつり、そして土木座。出演者は総勢・・・何名でしょう。佐藤辰海演劇祭に参加してくださった団体さんの出演者も数えれば100名近い俳優たちと、スタッフさんを含めれば更に多くの人々によって、そしてなによりご来場くださったお客様がたのおかげで、この祭は実現され、そして無事に(注1)幕を下ろしました。
お世話になりました。ありがとうございます。
※「モノローグ演劇祭」はguizillenとしてではなく、佐藤辰海個人による企画だったため扱いを別にしております。後日改めてモノローグ演劇祭のアカウントないしホームページよりご挨拶させていただきます。
注1:土木座の上演期間中に片腹年彦が体調不良により降板しましたが、代役を立て新バージョンの土木座が上演されました。また、最終日の上演中に黒澤風太がぎっくり腰をやりましたが、舞台裏での腰痛経験者たちと舞台監督・水澤桃花による手厚いフォローにより黒澤は最後まで出番を全うしました。
このひと月、延べ2,333名の方にご来場いただきました。誇りに思ってもいいでしょうか。
ご来場の皆様に心より御礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。
小劇場界では、と知った風な口をききますが本当はあまり詳しくありません。実態が違ったらごめんなさい。バカだなこいつと思って見てください。
少なくとも演劇界の身近なところではあまり聞かない数字です。2,300人動員。
もちろんお客様は数字ではありません。それをわかった上で、思い出されるのはあのお客様の笑顔だったり、涙でぐしゅぐしゅの顔で台本を買っていってくれたあのお客様だったり、目を見て感想を言ってくれたあのお客様だったり・・・やはりたくさんのお客様から、ぼくたちもたくさんの勇気をいただきました。何度でも言わせてください。本当にありがとうございました。
とはいえ帰ってきましたいつもの毎日に。数字だけ見ればちょっとした偉業かな? と思ったりもしましたが、それもやはりたくさんの人に支えられて達成されたことで、ぼくが偉くなったわけでも強くなったわけでもありません。今日もまた寝て起きて、ご飯を食べて、バイトに行きます。ごっそり減った残高をまたコツコツ増やさないといけません。また演劇をやるために。
今年のguizillenの予定はまったく未定です。
5さいが終わって落ち着くまでは何も考えたくないの一点張りで後回しにしておりましたが、生還してしまいましたので、
これから少しずつ考えて、またなにか思いついたらご報告いたしますので、またよろしくお願いいたします。
そうそう、偉業がどうとか、偉くないとか書きましたが、それでもひとつ胸を張ってこれは立派だな。と自分で自分を褒めてやりたいことがありました。それは動員でも、たくさんの台本を書き上げたことでもなくて、このギジレン5さいに出演してくれた50人以上の俳優たちひとりひとりに誠実に向き合ったなということです。人格や、お芝居の性格やクセとちゃんと向き合って、誰のことも嫌いにならず、投げ出さず、最後まで誠実に向き合えたこと。ちゃんとひとりひとりのことを考えて、今度やるならどんな役がいいだろう。そんな今後への楽しみも残して全員とまたねーと言って別れられたことは、私の誇りです。地上の誰よりも彼らを愛していると言い切れます。伝わってなかったら、それは、ごめん。
本当は一人一人について書いていきたいし、時間さえかければ書けるんですけど、2020年をまるまる費やすことになりそうなので、それはまた今際の際にでも。
さて、終演後記と申しましても何を書いていいやら、どうにもまとまりませんので、書きながらなにか発見があればと期待しつつ進めて参ります。
演目ごとに振り返っていくつもりではあります。身勝手な思い出語りになりますので、ご容赦ください。
(5さいについてとオープニングセレモニーについて、までしか書けませんでした。ギジレン島以降の演目については次回振り返らせていただきます。)
○5さいについて
そもそもこの年末年始一ヶ月公演「ギジレン5さい」がどのように始まったかと申しますと、一昨年末に上演した「センチメンタル・ジャーニーズ」という公演を終えて燃え尽きかけていた我々ギジレン劇団員が、そろそろ次の劇場の手配しなくちゃねーと話し合っていたスエヤスハウスでのことです。
「センチメンタル」の2週間公演で約1,800名の動員に恵まれた我々が、1週間公演で数百人キャパの公演を打つっていうのも、なんだか「置きにいったな」と思われそうだよね。とそんな風に話し合いが進みました。今思えば1週間公演で数百人の何が悪いんでしょう。何も悪くないはずです。だけどみんなちょっと舞い上がっていたのかもしれません。平たく言えば調子に乗っていたんだと思います。それは本当に反省しています。
しかしその頃にはほとんどの劇場が「今年はもういっぱいですね」ということでした。1週間なら空いてるんですけど、2週間となると・・・と。ギジレンはいつも動き出しが遅いんです。
そうしてダメ元で王子小劇場さんに電話をしたら「12月9日からなら空いてますよ」とおっしゃるので、「いつまで空いてるんですか」と尋ねたら「1月6日までです」と、そうおっしゃいました。それに対するぼくたちの返事は「じゃあ全部貸してください」でした。そう言いきった後、みんな大笑いしていました。なにわろとんねん。
約1ヶ月、これなら「置きにいった」なんて思われずに済むね〜と呑気に話していました。「3週間ってのも微妙だしね」と。何が微妙なんでしょうか。今年からはちゃんと置きにいきます。本当です。
その後改めて劇場さんと電話で話して、正式に借りることが決まって、そのくだりで一番印象に残っているのが「手付金が3万円」だったこと。3万円で1ヶ月の手付金になるんだ! とびっくりしました。
最終的に電気代とか、延長料金とか、諸々雑費込みで劇場さんに支払った金額は200万円を超えました。手付金3万円だったのに・・・。
これでもすごく良心的な価格だと思います。借り手が付きにくい時期だしって値引きしてくれた思い出があります。電気代は16万円でした。いいおうちの家賃だ。
まず劇場を借りて、そのあとやることを色々話し合って、バカみたいな企画書をツイッタ—に上げたらたくさんの人たちが面白がってくれて、「ああ、もう後には引けないんだな」とそこでやっと気づきました。
あの企画は無理、けが人が出ちゃう。あの企画も無理、闘牛が用意できない。あの企画も、あの企画も・・・会議ばっかりしていました。そのうち舞台監督の水澤さんも会議に招集するようになって、水澤さんが劇団員みたいになっていました。そうして現実的にやれそうな企画を挙げていって、佐藤と劇団員たちがギリギリ死なないくらいの負担で済むように調整しつつ紆余曲折を経て、あのギジレン5さいに至ったというわけです。
誰も冗談でしたと言い出せないまま、いつドッキリの札が出てくるのかな〜とソワソワしているうちに本番期間がやってきました。そして気づいたら終わっていました。それがギジレン5さいのいきさつです。
○オープニングセレモニーについて
もともとは「2.5ジレンデビュー」とか「ギジレンガールズデビュー」「柴田夫妻の結婚式三次会」とか、それぞれ別のイベントをお披露目していくつもりだったんですが、どのイベントに誰が参加するのかとか、その必然性、みたいなことを考えているうちになんだかこんがらがってきて、半ばヤケクソで、これら全てのイベントを内包した一本の台本を書いていったら、きっとみんな驚くぞ〜。「いや一本の台本やないかーい」ってツッコんでくれるぞ〜と思って試しにあらすじを書いてみたんです。そうしたらみんなが面白がってくれて、またあれです。後に引けなくなりました。
そしてあんまり「一本の台本やんけ」的なツッコミがわかりやすく入らなかったので、悔しいからお客様にツッコんでもらおう・・・と。オープニングセレモニーの成り立ちはつまり、ツッコミ待ちでした。
(オーディションに来ていないし、オファーもしていない、そもそも演技を見たことがなかった)柴田淳さんの名前を勝手にキャスト表に入れて、それもツッコミ待ちだったんですが、奥様が案外乗り気だったので顔合わせにご出席いただくことになりまして、その時はオープニングセレモニーにはあらすじしかなくて、読んでもらえる台本がなかったので、執筆中だったギジレン島の台本を読み合わせしてもらって、そうしたら淳さんのお芝居がぼく好みだったので、そのまま主演になりました。
「女の子と振り返るギジレンの歴史」はこれまた紆余曲折ありますので多少割愛しますが、井本みくにちゃんと篠崎友里ちゃんがスケジュール的にオープニングセレモニーにしか出演できないということだったので、出番を多くしようと、それは最初の方から決めていました。
また「ギジレンガールズデビュー」は、なんというかこう、女の子たちにカワイイ衣装着せて歌って踊ってアイドルみたいなことしてもらって・・・っていうのは、ギャグとか、劇中劇でやるならいいんですが、ハンパにやっても、女の子たちにもお客様にも不誠実なものになってしまうなと思ってああいう形になりました。(※ああいう形:女の子たちにギジレンを乗っ取られた門田が叫ぶ「そうだ、譲歩してやる! ギジレンの女の子レーベル、『ギジレン・ガールズ』なんてどうだ!」というセリフ。それに対してギジレン乗っ取りの首謀者ジュンは叫ぶ。「こいつらが本物のギジレンになるんだ。お前たちは所詮ギジレンのニセモノ、レプリカントとでも名乗るがいい!」)
いつか本気で実現させたいとは思っています。歌って踊って、演技のバケモノみたいな女の子グループ、ギジレンガールズ。
とはいえ(?)一日限りのイベントで、赤字大放出的な値段設定(満席になっても全然支出に届かない)で、そもそも「セレモニー」だからある程度の粗は許してくれるだろう! 気楽にいこうぜ。「セレモニー」だぜ? ファンしか来ねえよ! と思っていたらチケットが即完売しました。
まずい、これはなにかを期待されている。なにを期待しているんだろう。稽古4回だぜ。すごく焦りました。そもそもが「イベント」の予定だったので稽古回数をあまり割いていなかったのです。焦って稽古を4回増やしました。計8回。8回で通し稽古までいける演目にしなくちゃならない。
ですがその時ぼくはちょうど「ギジレン島」の執筆に追われていて、再演版「土木座」もリライト作業が中断しっぱなしで、精神的に相当追いつめられていました。そんな中稽古は容赦なくやってくるわけです。劇団員たちと違って作・演出のぼくだけはギジレン島のAの稽古にもBの稽古にも行かなくてはなりません。ほとんど毎日稽古です。書く時間がない! 時間がとにかく、ない! チクショ〜〜ずるいぞみんな〜〜なんでこんなに俺ばっかり大変な目に遭わなきゃならないんだ〜チクショ〜!
そのフラストレーションをぶつけて書いてしまいました。
なるべく長いセリフを書いてみんながセリフ覚えに苦しむように(やつあたりですごめんなさい)。物語の進行上まったく必要のないセリフをたくさん書きました。そして自分は「絶対に書き直しをしないぞ」と胸に誓って、矛盾しようが辻褄が合わなかろうが(矛盾と脱線、逸脱はぼくの得意技です)ただただ書き進めました。昔の少年漫画みたいな勢い全振りの執筆スタイルです。
ギジレンの過去公演を振り返り始めたあたりから嫌な予感はしていました。
もう過去に書いた台本一本分くらいの文字数になってるな〜。と。気づかないフリはしましたが、中盤以降急に展開が早くなるのはそのためです。それでもいかんせん登場人物が多い。あらすじをなぞるだけでも膨れ上がっていくページ数。そして見たこともないページ数の完成台本。いや、通し稽古をしてみるまではわからない。案外100分くらいに収まってるかも!
3時間でした。
もはや逆に愛おしかったです。出ハケと立ち位置、動線を付けきったらもう、清々しい気分でした。みんなあとは任せたぜ。
正直終演した今だからこそ、とかではなく当時から「これ台本カットしたら2時間にできるな」と気づいてはいたんですが、そうじゃないんです。セレモニーなんです。上手にやってたまるかよ、ということで最後まで台本のカットはせずに押し通しました。
でも普段ここまで勢いで好き放題書けることもあまりないので、なんだかんだでオープニングセレモニーの台本は気に入ってます。
特に
・自分とギジレンを死ぬほど褒めていくスタイル
・アホばかりの登場人物
・緊張感のないバトル
・深い意味はないのに妙に勢いがあってかっこいいセリフ
・休憩に入るタイミングが神がかっている
・いらない伏線
・つじつまがまったく合わない
・かっこいいセリフの後には決めポーズ、そして「ドーン!」みたいな効果音が鳴る
あたりは今後の作劇レパートリーに加えていきたいところです。
本番当日、つまり劇場入り初日、朝から人海戦術で舞台を建て込み、場当たり(頭のシーンから照明さんや音響さんのきっかけをさらっていくこと)。場当たりが終わったのは開場の15分前。当たり前のようにゲネ(リハーサルのこと)はなし。役者も、スタッフさんも「本番やりながら考えらぁ!」状態。それでも開場15分前でーす! という舞台監督の呼びかけに「イエーーーーーイ!!」と応えた愛すべきバカたちをぼくは一生忘れません。普通怒ります。ありがとうね。
はじめて観る景色。お客様のあたたか過ぎる反応。セリフが飛んででかい声を出して誤魔化す出演者。もはやヤケクソと見分けのつかないパッション。どれも異様な高揚感と共に深く記憶に刻まれています。本番中何度拍手を浴びたでしょう。あれはなんの拍手だったんでしょう。優しすぎますよ皆さん。
聞けば「ギジレン観たことないんだけど」っていうお客様もチラホラ居たみたいで。なんでだ。セレモニーやぞ。知らないヤツのお誕生日会やぞ。でも来てくれてありがとう。そんなアナタに見せたかったのはこれです。このセレモニーの、内容じゃなくて、このファンの皆さんの優しさです。地上にこんなに暖かい場所があるんですよ。良かったらあなたもこっちに来て一緒にあったまらない?
井本みくにちゃんの怪演、名演が話題になりましたが、彼女の意地というか、プライドを見ましたね。喉は錆びた蛇口みたいになってましたけど。
彼女と篠崎友里ちゃん、柴田淳さんの通称「結局オープニングセレモニーが最高だったなって言われたい三銃士」はセリフの多さ、振れ幅の大きさ共に凄まじく、やらせておいてなんですがよくやったなあと感心しきりでした。
でも他のみんなだって、別の本公演でたくさんの出番やセリフを抱えた上でアレをやってのけたんだから、役者さんって本当にすごいんですねえと、もう何目線なんだかよくわからない感じですが、役者さんの底力を見たセレモニーになりました。お客様がたにもなんとなく伝わったのではないでしょうか。
落としどころを見失い始めてしまったので、今日はいったんここまでにいたしまして、次回はまたオープニングセレモニーのなにか書き忘れていることがあればそれ、なければギジレン島の振り返りから始めさせていただきます。インタヴュワーがいたらもっと端的に書けると思うんですけどね、端的から程遠い人間なので、お恥ずかしい限りです。
お付き合いいただいてありがとうございます。
そうだひとつ書き忘れてました。オープニングセレモニーをご覧になった方はわかると思いますが一応、依乃王里は私の実の兄です。
それではまた。
おやすみなさい。
毎週水曜日、ぼくはお好み焼き屋さんの厨房に立っている。それがおよそ1ヶ月ぶり。少しワクワクしている。
guizillenの佐藤辰海です。おはようございます。
そう書き出したのもいまや昔。オープニングセレモニーのあたりまで書いては消し書いては消し、気づけば1月15日(水)でございます。
時が経つのは早いもので。すっかり体が夜勤生活に適応し直してまいりました。
もう一日で書き上げるのは諦めました。締め切りがない、というのはどうにも締まらなくていけませんね。大嫌いだけど必要なもの。それが締め切りです。これからコツコツ加筆して進めていければと考えておりますので、どうかよろしくお願いします。佐藤辰海です。おはようございます。
もはや遠い昔のように感じられますが1月6日(月)、再演版の「土木座」の終演をもって、12月9日から約ひと月続いたguizillen5周年特別本公演「ギジレン5さい」が幕を下ろしました。
オープニングセレモニー、ギジレン島最後の7日間(ABダブルキャスト公演)、佐藤辰海演劇祭、年越しまつり、そして土木座。出演者は総勢・・・何名でしょう。佐藤辰海演劇祭に参加してくださった団体さんの出演者も数えれば100名近い俳優たちと、スタッフさんを含めれば更に多くの人々によって、そしてなによりご来場くださったお客様がたのおかげで、この祭は実現され、そして無事に(注1)幕を下ろしました。
お世話になりました。ありがとうございます。
※「モノローグ演劇祭」はguizillenとしてではなく、佐藤辰海個人による企画だったため扱いを別にしております。後日改めてモノローグ演劇祭のアカウントないしホームページよりご挨拶させていただきます。
注1:土木座の上演期間中に片腹年彦が体調不良により降板しましたが、代役を立て新バージョンの土木座が上演されました。また、最終日の上演中に黒澤風太がぎっくり腰をやりましたが、舞台裏での腰痛経験者たちと舞台監督・水澤桃花による手厚いフォローにより黒澤は最後まで出番を全うしました。
このひと月、延べ2,333名の方にご来場いただきました。誇りに思ってもいいでしょうか。
ご来場の皆様に心より御礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。
小劇場界では、と知った風な口をききますが本当はあまり詳しくありません。実態が違ったらごめんなさい。バカだなこいつと思って見てください。
少なくとも演劇界の身近なところではあまり聞かない数字です。2,300人動員。
もちろんお客様は数字ではありません。それをわかった上で、思い出されるのはあのお客様の笑顔だったり、涙でぐしゅぐしゅの顔で台本を買っていってくれたあのお客様だったり、目を見て感想を言ってくれたあのお客様だったり・・・やはりたくさんのお客様から、ぼくたちもたくさんの勇気をいただきました。何度でも言わせてください。本当にありがとうございました。
とはいえ帰ってきましたいつもの毎日に。数字だけ見ればちょっとした偉業かな? と思ったりもしましたが、それもやはりたくさんの人に支えられて達成されたことで、ぼくが偉くなったわけでも強くなったわけでもありません。今日もまた寝て起きて、ご飯を食べて、バイトに行きます。ごっそり減った残高をまたコツコツ増やさないといけません。また演劇をやるために。
今年のguizillenの予定はまったく未定です。
5さいが終わって落ち着くまでは何も考えたくないの一点張りで後回しにしておりましたが、生還してしまいましたので、
これから少しずつ考えて、またなにか思いついたらご報告いたしますので、またよろしくお願いいたします。
そうそう、偉業がどうとか、偉くないとか書きましたが、それでもひとつ胸を張ってこれは立派だな。と自分で自分を褒めてやりたいことがありました。それは動員でも、たくさんの台本を書き上げたことでもなくて、このギジレン5さいに出演してくれた50人以上の俳優たちひとりひとりに誠実に向き合ったなということです。人格や、お芝居の性格やクセとちゃんと向き合って、誰のことも嫌いにならず、投げ出さず、最後まで誠実に向き合えたこと。ちゃんとひとりひとりのことを考えて、今度やるならどんな役がいいだろう。そんな今後への楽しみも残して全員とまたねーと言って別れられたことは、私の誇りです。地上の誰よりも彼らを愛していると言い切れます。伝わってなかったら、それは、ごめん。
本当は一人一人について書いていきたいし、時間さえかければ書けるんですけど、2020年をまるまる費やすことになりそうなので、それはまた今際の際にでも。
さて、終演後記と申しましても何を書いていいやら、どうにもまとまりませんので、書きながらなにか発見があればと期待しつつ進めて参ります。
演目ごとに振り返っていくつもりではあります。身勝手な思い出語りになりますので、ご容赦ください。
(5さいについてとオープニングセレモニーについて、までしか書けませんでした。ギジレン島以降の演目については次回振り返らせていただきます。)
○5さいについて
そもそもこの年末年始一ヶ月公演「ギジレン5さい」がどのように始まったかと申しますと、一昨年末に上演した「センチメンタル・ジャーニーズ」という公演を終えて燃え尽きかけていた我々ギジレン劇団員が、そろそろ次の劇場の手配しなくちゃねーと話し合っていたスエヤスハウスでのことです。
「センチメンタル」の2週間公演で約1,800名の動員に恵まれた我々が、1週間公演で数百人キャパの公演を打つっていうのも、なんだか「置きにいったな」と思われそうだよね。とそんな風に話し合いが進みました。今思えば1週間公演で数百人の何が悪いんでしょう。何も悪くないはずです。だけどみんなちょっと舞い上がっていたのかもしれません。平たく言えば調子に乗っていたんだと思います。それは本当に反省しています。
しかしその頃にはほとんどの劇場が「今年はもういっぱいですね」ということでした。1週間なら空いてるんですけど、2週間となると・・・と。ギジレンはいつも動き出しが遅いんです。
そうしてダメ元で王子小劇場さんに電話をしたら「12月9日からなら空いてますよ」とおっしゃるので、「いつまで空いてるんですか」と尋ねたら「1月6日までです」と、そうおっしゃいました。それに対するぼくたちの返事は「じゃあ全部貸してください」でした。そう言いきった後、みんな大笑いしていました。なにわろとんねん。
約1ヶ月、これなら「置きにいった」なんて思われずに済むね〜と呑気に話していました。「3週間ってのも微妙だしね」と。何が微妙なんでしょうか。今年からはちゃんと置きにいきます。本当です。
その後改めて劇場さんと電話で話して、正式に借りることが決まって、そのくだりで一番印象に残っているのが「手付金が3万円」だったこと。3万円で1ヶ月の手付金になるんだ! とびっくりしました。
最終的に電気代とか、延長料金とか、諸々雑費込みで劇場さんに支払った金額は200万円を超えました。手付金3万円だったのに・・・。
これでもすごく良心的な価格だと思います。借り手が付きにくい時期だしって値引きしてくれた思い出があります。電気代は16万円でした。いいおうちの家賃だ。
まず劇場を借りて、そのあとやることを色々話し合って、バカみたいな企画書をツイッタ—に上げたらたくさんの人たちが面白がってくれて、「ああ、もう後には引けないんだな」とそこでやっと気づきました。
あの企画は無理、けが人が出ちゃう。あの企画も無理、闘牛が用意できない。あの企画も、あの企画も・・・会議ばっかりしていました。そのうち舞台監督の水澤さんも会議に招集するようになって、水澤さんが劇団員みたいになっていました。そうして現実的にやれそうな企画を挙げていって、佐藤と劇団員たちがギリギリ死なないくらいの負担で済むように調整しつつ紆余曲折を経て、あのギジレン5さいに至ったというわけです。
誰も冗談でしたと言い出せないまま、いつドッキリの札が出てくるのかな〜とソワソワしているうちに本番期間がやってきました。そして気づいたら終わっていました。それがギジレン5さいのいきさつです。
○オープニングセレモニーについて
もともとは「2.5ジレンデビュー」とか「ギジレンガールズデビュー」「柴田夫妻の結婚式三次会」とか、それぞれ別のイベントをお披露目していくつもりだったんですが、どのイベントに誰が参加するのかとか、その必然性、みたいなことを考えているうちになんだかこんがらがってきて、半ばヤケクソで、これら全てのイベントを内包した一本の台本を書いていったら、きっとみんな驚くぞ〜。「いや一本の台本やないかーい」ってツッコんでくれるぞ〜と思って試しにあらすじを書いてみたんです。そうしたらみんなが面白がってくれて、またあれです。後に引けなくなりました。
そしてあんまり「一本の台本やんけ」的なツッコミがわかりやすく入らなかったので、悔しいからお客様にツッコんでもらおう・・・と。オープニングセレモニーの成り立ちはつまり、ツッコミ待ちでした。
(オーディションに来ていないし、オファーもしていない、そもそも演技を見たことがなかった)柴田淳さんの名前を勝手にキャスト表に入れて、それもツッコミ待ちだったんですが、奥様が案外乗り気だったので顔合わせにご出席いただくことになりまして、その時はオープニングセレモニーにはあらすじしかなくて、読んでもらえる台本がなかったので、執筆中だったギジレン島の台本を読み合わせしてもらって、そうしたら淳さんのお芝居がぼく好みだったので、そのまま主演になりました。
「女の子と振り返るギジレンの歴史」はこれまた紆余曲折ありますので多少割愛しますが、井本みくにちゃんと篠崎友里ちゃんがスケジュール的にオープニングセレモニーにしか出演できないということだったので、出番を多くしようと、それは最初の方から決めていました。
また「ギジレンガールズデビュー」は、なんというかこう、女の子たちにカワイイ衣装着せて歌って踊ってアイドルみたいなことしてもらって・・・っていうのは、ギャグとか、劇中劇でやるならいいんですが、ハンパにやっても、女の子たちにもお客様にも不誠実なものになってしまうなと思ってああいう形になりました。(※ああいう形:女の子たちにギジレンを乗っ取られた門田が叫ぶ「そうだ、譲歩してやる! ギジレンの女の子レーベル、『ギジレン・ガールズ』なんてどうだ!」というセリフ。それに対してギジレン乗っ取りの首謀者ジュンは叫ぶ。「こいつらが本物のギジレンになるんだ。お前たちは所詮ギジレンのニセモノ、レプリカントとでも名乗るがいい!」)
いつか本気で実現させたいとは思っています。歌って踊って、演技のバケモノみたいな女の子グループ、ギジレンガールズ。
とはいえ(?)一日限りのイベントで、赤字大放出的な値段設定(満席になっても全然支出に届かない)で、そもそも「セレモニー」だからある程度の粗は許してくれるだろう! 気楽にいこうぜ。「セレモニー」だぜ? ファンしか来ねえよ! と思っていたらチケットが即完売しました。
まずい、これはなにかを期待されている。なにを期待しているんだろう。稽古4回だぜ。すごく焦りました。そもそもが「イベント」の予定だったので稽古回数をあまり割いていなかったのです。焦って稽古を4回増やしました。計8回。8回で通し稽古までいける演目にしなくちゃならない。
ですがその時ぼくはちょうど「ギジレン島」の執筆に追われていて、再演版「土木座」もリライト作業が中断しっぱなしで、精神的に相当追いつめられていました。そんな中稽古は容赦なくやってくるわけです。劇団員たちと違って作・演出のぼくだけはギジレン島のAの稽古にもBの稽古にも行かなくてはなりません。ほとんど毎日稽古です。書く時間がない! 時間がとにかく、ない! チクショ〜〜ずるいぞみんな〜〜なんでこんなに俺ばっかり大変な目に遭わなきゃならないんだ〜チクショ〜!
そのフラストレーションをぶつけて書いてしまいました。
なるべく長いセリフを書いてみんながセリフ覚えに苦しむように(やつあたりですごめんなさい)。物語の進行上まったく必要のないセリフをたくさん書きました。そして自分は「絶対に書き直しをしないぞ」と胸に誓って、矛盾しようが辻褄が合わなかろうが(矛盾と脱線、逸脱はぼくの得意技です)ただただ書き進めました。昔の少年漫画みたいな勢い全振りの執筆スタイルです。
ギジレンの過去公演を振り返り始めたあたりから嫌な予感はしていました。
もう過去に書いた台本一本分くらいの文字数になってるな〜。と。気づかないフリはしましたが、中盤以降急に展開が早くなるのはそのためです。それでもいかんせん登場人物が多い。あらすじをなぞるだけでも膨れ上がっていくページ数。そして見たこともないページ数の完成台本。いや、通し稽古をしてみるまではわからない。案外100分くらいに収まってるかも!
3時間でした。
もはや逆に愛おしかったです。出ハケと立ち位置、動線を付けきったらもう、清々しい気分でした。みんなあとは任せたぜ。
正直終演した今だからこそ、とかではなく当時から「これ台本カットしたら2時間にできるな」と気づいてはいたんですが、そうじゃないんです。セレモニーなんです。上手にやってたまるかよ、ということで最後まで台本のカットはせずに押し通しました。
でも普段ここまで勢いで好き放題書けることもあまりないので、なんだかんだでオープニングセレモニーの台本は気に入ってます。
特に
・自分とギジレンを死ぬほど褒めていくスタイル
・アホばかりの登場人物
・緊張感のないバトル
・深い意味はないのに妙に勢いがあってかっこいいセリフ
・休憩に入るタイミングが神がかっている
・いらない伏線
・つじつまがまったく合わない
・かっこいいセリフの後には決めポーズ、そして「ドーン!」みたいな効果音が鳴る
あたりは今後の作劇レパートリーに加えていきたいところです。
本番当日、つまり劇場入り初日、朝から人海戦術で舞台を建て込み、場当たり(頭のシーンから照明さんや音響さんのきっかけをさらっていくこと)。場当たりが終わったのは開場の15分前。当たり前のようにゲネ(リハーサルのこと)はなし。役者も、スタッフさんも「本番やりながら考えらぁ!」状態。それでも開場15分前でーす! という舞台監督の呼びかけに「イエーーーーーイ!!」と応えた愛すべきバカたちをぼくは一生忘れません。普通怒ります。ありがとうね。
はじめて観る景色。お客様のあたたか過ぎる反応。セリフが飛んででかい声を出して誤魔化す出演者。もはやヤケクソと見分けのつかないパッション。どれも異様な高揚感と共に深く記憶に刻まれています。本番中何度拍手を浴びたでしょう。あれはなんの拍手だったんでしょう。優しすぎますよ皆さん。
聞けば「ギジレン観たことないんだけど」っていうお客様もチラホラ居たみたいで。なんでだ。セレモニーやぞ。知らないヤツのお誕生日会やぞ。でも来てくれてありがとう。そんなアナタに見せたかったのはこれです。このセレモニーの、内容じゃなくて、このファンの皆さんの優しさです。地上にこんなに暖かい場所があるんですよ。良かったらあなたもこっちに来て一緒にあったまらない?
井本みくにちゃんの怪演、名演が話題になりましたが、彼女の意地というか、プライドを見ましたね。喉は錆びた蛇口みたいになってましたけど。
彼女と篠崎友里ちゃん、柴田淳さんの通称「結局オープニングセレモニーが最高だったなって言われたい三銃士」はセリフの多さ、振れ幅の大きさ共に凄まじく、やらせておいてなんですがよくやったなあと感心しきりでした。
でも他のみんなだって、別の本公演でたくさんの出番やセリフを抱えた上でアレをやってのけたんだから、役者さんって本当にすごいんですねえと、もう何目線なんだかよくわからない感じですが、役者さんの底力を見たセレモニーになりました。お客様がたにもなんとなく伝わったのではないでしょうか。
落としどころを見失い始めてしまったので、今日はいったんここまでにいたしまして、次回はまたオープニングセレモニーのなにか書き忘れていることがあればそれ、なければギジレン島の振り返りから始めさせていただきます。インタヴュワーがいたらもっと端的に書けると思うんですけどね、端的から程遠い人間なので、お恥ずかしい限りです。
お付き合いいただいてありがとうございます。
そうだひとつ書き忘れてました。オープニングセレモニーをご覧になった方はわかると思いますが一応、依乃王里は私の実の兄です。
それではまた。
おやすみなさい。
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