他人の夢の話ほどつまらないものはない。と言ったのは誰だったっけ。それともよく言う、慣用句みたいなものだったろうか。だがたしかに誰かの肉声でそう聞いた。いつとも思い出せないどこかで。ただ大きなショックを受けたことだけを覚えている。
ぼくはその意見にはまったく反対だ。ぼくは他人の見た夢の話を聞くのが好きだし、「ねえ聞いて。こんな夢を見たんだ」と無邪気に語る人の顔はとても愛らしい。それが男でも女でも。
「他人の夢の話ほどつまらないものはない」なんて断定的な物言いをする連中は、たいていスポーツマンで、それもラグビーとかサッカーをやってきたような体の大きな連中で、勉強もできて、大した挫折も経験したことがないから、人の気持ちがわからない、声の大きな、女を物として見るような無分別な連中なのだ。こういう奴らは寝ているときに見る夢はおろか、他人の野望や目標まで笑うようなケダモノで、ぼくはそういう連中が大嫌いだ。少し断定的な言い方をしてしまった。反省。
とにかくぼくは人の夢の話を聞くのが好きだ。それ以上に見た夢の話をするのがとても好きだ。そして当然、夢を見ることがなによりも好きなのだ。目を瞑っているのに風景が見える神秘や、思いもよらないセリフや、予測不可能な展開、それら全てが自分の内側から立ち現れたという事実にぼくはいつも驚いてしまう。喫茶店でウンウン唸りながら捻り出した物語なんかじゃ足下にも及ばない。創作をする人間として、もどかしく思うこともある。寝ている時に無意識が産み出した風景や物語の方が、豊かで面白いなんて。ときに脂汗をぐっしょりかくほど恐ろしくて、ときにもう一度会いたいと思うような恋を経験させてくれる。そんな物語を、起きている間に一度だって書けたことがあるだろうか。
せっかくの夢を忘れていってしまうことはとても辛い。そしてもったいない。思考の檻に閉じ込められた創作はいつも想像の範疇を超えず、どこか冷静だ。だからぼくは印象的な夢を見た時は、なるべくメモに書き残すようにしている。
たしかにネス湖だったと思う。だけどその湖はスコットランドにある淡水湖のことではない。ぼくたちは二人で山道を歩いていた。それは「ネッシー」を見に行くためだったから、そこはきっとネス湖だったんだろう。
それでもそこがスコットランドじゃないとぼくが言うのは、隣を歩いていた女の子が浴衣を着ていたからだ。浴衣でネス湖に行く人はあまりいないだろう。
彼女はとても優しい顔をしていて、歳は20代はじめか半ばくらいだろうか。幼い顔立ちで、きっとこの人は30代になっても幼い顔のままなんだろうな、とそんなことを考えたりした。アップにまとめた髪の毛がとても似合っていた。
どうしてぼくたちが二人でネッシーを見に行くことになったのかは思い出せない。でも二人とも、本気でネッシーの存在を信じていたし、そういう子供っぽいところがあった。お祭りでもないのに彼女が浴衣を着ていた理由もわからない。だけどぼくと二人で出かけるために着て来てくれたんだと思うと嬉しかった。ぼくは彼女のことが好きだった。
もうじきネス湖に到着する山道で、彼女の草履の鼻緒が切れてしまった。あっ、と言って彼女は屈んだけれど、切れた鼻緒はどうしようもなかった。ぼくも屈んで鼻緒が切れてることを確認して、顔を上げると彼女と目が合った。顔が近い。恥ずかしくなってお互いに目を逸らした。
そのまま歩くわけにもいかず、ぼくは彼女を抱きかかえた。おぶった方が山道は楽に登れるだろうけど、彼女に脚を開かせてしまうのはちょっと品がないように思って、前に抱きかかえた。いわゆるお姫さま抱っこの形だ。やっぱり少し重かったけど、そんなことを言うと情けないから、黙って歩きはじめた。
ぼくたちは付き合っているわけではなくて、ぼくの一方的な片想いだから、ぼくが嬉しくても、彼女がイヤな気持ちになっていたらどうしよう。と不安に思った。不安や恥ずかしさを悟られたくなくて、平気な顔を作って歩いた。このまま山頂に着かなければいいのにと思いながら歩いた。
不意に彼女が笑った。肩を震わせて、堪え切れずに笑い出した。あっけに取られて困っているぼくの首に腕を回して、彼女が抱きついてきた。ぼくはとてもびっくりしたけど、そんなことはお構いなしに、彼女はぼくの右肩と首の付け根の間に顔を埋めて、クスクス笑っている。
ここで夢にありがちな視点の切り替えが入る。本来ぼくには見えないはずの彼女の顔が、ぼくの肩越しに見えた。
彼女は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに笑ったり、顔を埋めて息を止めたりしている。彼女もとても恥ずかしかったんだ。たしかに、お姫さま抱っこは少しカッコつけすぎだったかもしれない。だけどその恥じらう顔がとても愛おしくて、ぼくは勃起した。それを悟られまいとぼくは走った。走ると大きく揺れるから、ちょっと遊園地のアトラクションみたいだなと思って少し笑った。彼女はとても楽しそうに笑っていた。幸せだった。
だけど思い切り走ったばっかりに、ネス湖に到着してしまった。ネス湖の周りは意外に整備されていて、ベンチや石段、街灯まであってさながら公園だ。せっかくの月のきれいな夜なのに、ネス湖の周りはカップルや家族連れがたくさんいた。だけどみんなシンとして、肩を寄せ合ったり、ジッと湖を見つめたりしていて、水面は波紋ひとつ立てずまるで静止画のようだ。青白い夜だった。
急に人目が恥ずかしくなって彼女を下ろした。歩きづらいけど、急いで歩く必要はない。彼女は鼻緒の切れた草履を足につっかけて、ゆっくり歩きはじめた。山道では微妙に隙間が空いていたぼくと彼女の肩が、少し触れるくらいの距離で、どちらともなく自然に手を繋いだ。少し力を入れて手を握ると、彼女も少しだけ力を入れて握り返してきた。ぼくはもうとにかく嬉しくて、だけど勃起しているのが恥ずかしくて、変な歩き方になった。鼻緒の切れた彼女と、前屈みのぼくと、二人とも変な歩き方でゆっくり歩いた。ネッシーはいつまで経っても現れそうになくて、それどころか本当にネッシーなんかいるのか疑わしいほど静かな湖だけど、そんなことはどうでもよかった。ぼくたちは恋をしていた。
起きて少し泣いた。二度寝してもう一度彼女に会おうとしたけれど、今度はなににも出会えなかった。あれから半日以上経ったけれど、まだ彼女のことを考えている。
コメダ珈琲店に行ってきます。
二人で屈んだ時に彼女の乳輪が少しだけ見えてしまったのは事故だし、内緒。
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